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東京地方裁判所 昭和43年(ヨ)2254号 判決

申請人

上原正章

代理人

芦田浩志

外二名

被申請人

学校法人麹町学園

右代表者

大築邦雄

代理人

馬塲東作

外一名

主文

一  申請人が被申請人麹町学園の教諭である地位をかりに定める

二  被申請人は申請人に対し、昭和四二年四月一日から本案判決確定まで毎月一七日限り、一か月金二四、〇〇〇円をかりに支払え。

三  訴訟費用は、被申請人の負担とする。

事実《省略》

理由

一申請の理由第一項記載の事実(編注、学園の概況、申請人の経歴、雇用関係の成立)は、当事者間に争いない。

二試用期間

(一)  試用期間の設定

〈証拠〉によれば、被申請人は、昭和二八年全教職員の意見を聞き、就業規則を作成し、これを同年一〇月一日から施行したこと、その後数次の改正を施し、更に昭和三七年四月一日に改正を行なつて現在に至つているが、改正の都度全教職員に改正案を配付したりしてその意見を聴取したこと、被申請人は、就業規則の印刷物を学園事務室内に備付け、または事務室内鍵ボックス付近に掲示していたこと、就業規則には、「採用された者に対しては、一年間の試用期間を設け(る)」旨の規定があり(第五条第二項)、被申請人は、申請人を雇用する際、右規定により一年間の試用期間を設けることとし、被申請人理事長森数樹から申請人に対し、その旨告知したこと、なお申請人は、東京理科大学在学中の昭和四〇年九月に講師として被申請人に雇用されたことがあるが、その際被申請人に対し、保証人と連名で就業規則を遵守する旨記載した身元保証書を差し入れたことが認められる。〈証拠判断省略〉

右認定によれば、被申請人は、被申請人の雇用する労働者の過半数の意見を聴いて就業規則を作成し、これを事務室に備え付ける等して労働者に周知させたのであるから、就業規則は有効と認めら

るし、したがつてまた申請人の労働契約には、就業規則に基づき一年間の試用期間が設けられたわけである。

(二)  試用の性質

〈証拠〉によれば、被申請人の就業規則には、試用期間に関し、「採用された者に対しては、一年間の試用期間を設け、その満了二か月前に適当と認めて本学園の指定する医師の身体検査に合格したときは、本採用内定の通知をする。」との規定(第五条第二項)がある。これによれば、この就業規則にいう試用は、試用期間を一か年とする試用契約であり、被申請人に雇用される者は、この試用契約の締結とともに、期間満了二か月前に本採用の決定がなされることを停止条件とする期間の定めのない労働契約を被申請人と締結したものと解されなくはない。

しかし、〈証拠〉によれば、被申請人は、教職員の採用はすべて右規定により一年間の試用期間満了の前後を通じて、試用者に対し、本採用を明示するための本採用内定の通知またはこれに類するいかなる意思表示をしたこともなく、右就業規則第五条第二項後段の規定は事実上空文化していること、したがつて教職員は試用期間中と期間満了後の雇用関係を異質のものと理解せず、給与その他の取扱上も試用期間は試用期間満了後の期間と同様に取り扱われていることが認められる。そしてまた前記乙第二号証によれば、就業規則には、解職事由として、任意退職や定年退職の規定と列記して、試用中の者が本採用にならないときは解職する旨の規定(第二三条第六号)がある。これらのことを合せ考えれば、被申請人と従業員(教職員)との間の労働契約は、前記のような停止条件付労働契約ではなく、当初から期間の定めのない労働契約であつて、ただ試用期間中は、被申請人は就業規則上の制約なしに従業員を解雇できる旨の解雇権が被申請人に留保されているものと解するのが相当である。

本来試用期間を設ける理由は、労働者を職場で現実に稼働させることによつて、労働者の能力や勤務状態などを実証的に検討し、従業員としての職業上の適格性を価値判断することにあるから、使用者に解雇権が留保されているといつても、解雇権の行使には、この目的からする内在的な制約があつて、その恣意的な行使は許されない。しかも〈証拠〉によれば、被申請人の就業規則は、第二四条に懲戒解雇の規定を設けているが、第二八条においては、懲戒解雇された者および試用中退職した者には、退職手当その他一切の手当を支給しない旨を定めて試用中の解職の効果を懲戒解雇のそれと同様に懲罰的なものとして取り扱つていることが認められるから、試用者に対する解雇は、相当な事由ある場合にだけなしうる建前と思われる。そうすると被申請人に留保された解雇権は、それ程大幅なものではなく、社会通念上の合理的かつ客観的な基準に照して、申請人が教諭としての適格性を欠如していることが明白な場合にだけ、行使を許されるものと解すべきである。

三解雇

(一)  解雇の意思表示

被申請人が昭和四二年二月二八日申請人に対し、同年三月三一日限り申請人を解雇する旨の意思表示をしたことは、当事者間に争いない。

(二)  解雇理由に対する判断

1  礼儀の常識をわきまえないことについて

前記乙第二二証によれば、学園理事長大築邦雄の陳述として、申請人は教員室において校長に挨拶することも知らないほど礼儀をわきまえない人物である旨の記載が、前記乙第二三号証によれば、学園中学・高校前校長山下重二の陳述として、同校長は職員室等で申請人から挨拶を受けたことがなく、申請人は礼儀については非常識だつた旨の記載が、前記乙第二四号証によれば、学園教諭中田弘の陳述として、申請人は、女子校の先生として必要な礼儀・挨拶をわきまえない旨の記載がある。また被申請人代表者尋問の結果中には、校長は一度も申請人から会釈さえ受けたことはないと述べていたとの供述がある。

しかし、前記乙第二二および第二四号証の記載は、それ自体抽象的な人物評価であつて具体性に乏しいから、これをもつて申請人が常に校長に挨拶をしないという事実を認めることはできない。〈証拠〉によれば、山下校長は、普段うつむきかげんで歩いており、申請人が挨拶をしても返礼せずに通り過ぎることがあり、また申請人は、挨拶などで特に校長などにおもねるような態度をとらなかつたが、同僚から挨拶を受ければ、必ず返礼をしていたことが認められる。そうすると前記乙第二三号証の記載および被申請人代表者尋問の結果によつても、申請人が校長に全く挨拶をしないという事実を認めるのは困難であり、むしろ前認定を総合すれば、申請人は、些か社交性に欠けるがために、時に校長にも欠礼するようなことがあつたと認めるのが相当である。

学園の規定する生徒信条の敬礼の章に、被申請人主張のような定めがあることは、当事者間に争いない。このことと〈証拠〉によれば、学園では、学校内における生徒に対するしつけとして、女性として特に必要な礼儀を重視して生徒を指導していることが認められる。このような学校に勤務する教師としては、自らも礼儀を重んずべきことは当然の要請ではあるが、挨拶や礼儀は、人間相互間の尊敬や愛情の表現であるとしても、あくまでも外形的形式的なものである。重視すべきは、内心であつて外観ではない。生徒の面前で、教師が示威的に校長に欠礼し、教育上生徒に悪影響を及ぼした等の疎明がない限り、たまたま教師が職員室で校長に欠礼したとしても、これをもつて教諭としての職業上の不適格性の徴ひようとすることはできない。

また、申請人が教室において、生徒に対し、学園教師として行なうべき礼儀指導を全く行なわなかつたという事実については、これを認めるに足りる疎明がない。

2  規律指導能力に欠けることについて

成立に争いない乙第三一号証によれば、学園教諭桑原文栄の陳述として、申請人の授業時間中にはいわゆる生徒の内職が多いとの記載があり、証人桑原文栄および同中田弘の各証言には、これと同趣旨の供述部分がある。

しかし、右陳述および証言は、いずれも二・三の生徒からの伝聞に基づくものであり、内職が多いといつても、どの程度であり、また他の教師の授業時間と比較して多いか、少ないかについても明白でないから、このことだけで申請人の規律指導能力の欠如を評価することはできない。のみならず、〈証拠〉によれば、申請人の担当した物理、化学の授業においては、実験を行なうことが多かつたが、実験をしているときはクラス全体に申請人の目が行き届かず、いわゆる内職をする生徒もいたこと、しかし他の教師の授業時間に比べて特に申請人の授業時間において内職が多かつたわけではなく、いわゆる内職常習者が一クラス一〇数名は存在し、特に校長の授業時間においては内職が盛況であつたことが認められる。そうすると、申請人の授業時間中も内職があつたが、他の教師の授業時間に比べて特に多いものとは認められないのである。

生徒が授業時間中教師の講義に耳を傾けず、いわゆる内職をしているのは、もとより好ましい現象ではなく、その由来するところは、講義内容が貧弱であつて生徒を惹きつける魅力に乏しいか、または生徒のいわれなき反抗か怠慢のいずれかであろう。前者であれば、それは教師の専門的な教育能力の問題であつて、被申請人の主張する規律指導力の問題ではないし、後者ならば、内職が横行することではなくて、内職を知つて注意しないことが規律指導力欠如の徴ひようである。しかし、申請人が生徒の内職を知りながら、注意せず放任したことを認めるに足りる疎明はない。そうすると、前認定の程度の内職があつたとしても、これをもつて申請人は規律指導能力がなく、したがつて教諭として不適格であるということはできない。

3  言語表現、対人態度が粗野であることについて

申請人が校務分掌として、落し物係を担当したことは、当事者間に争いがない。前記乙第二三号証には、学園前校長山下重二の陳述として、申請人は、言葉使いが粗野で円滑を欠く、校長が声をかけても反応にとぼしく応待は非常識である。申請人の言葉使いの悪い点は改善不可能である。職員室に来た生徒に対し、落し物処理に当たる申請人の言葉を耳にすると教育者らしくない粗野な言葉で応待し、学園教員としての水準からみて、不適格な程度に粗野かつ不円滑であつたとの記載がある。被申請人代表者尋問の結果中には、申請人は、丁寧語、謙そん語、敬語について基本的な表現ができず、また落し物係として生徒に対し乱暴な言葉を使つていたとの供述部分がある。

しかし、一方〈証拠〉によれば、申請人は、非社交的かつ無口であつて、流ちように標準語を話すタイプではないが、同僚教師間において、申請人の言葉使いが乱暴であるという話題が生じたこともないし、生徒も、申請人の言語表現が不十分または会話が不円滑のため、申請人の講義が理解できなかつたということは全くなく、したがつて生徒からこの点について苦情の出たこともないことが認められる。そうすると、前記乙第二三号証および被申請人代表者尋問の結果中申請人が生徒に対し乱暴な言葉使いをしたとか、言語が粗野かつ不円滑で教師として不適格であるという部分は、ことさら誇張した表現で真実ではないと認められるから、到底措信できないのである。結局以上認定を総合すれば、申請人は、無口かつ非社交的であつて、敬語などを十分使用せず、標準語をまくし立てることはできないが、対人的言語表現としては粗野にわたるものでなく、講義をするのにも言語上障害があるものではないと認めざるを得ない。

言語は思想の表現であるから、知識を教授する教師としては、流ちような標準語を駆使できることが望ましいのは当然とである。しかし申請人の担当は、理科・数学であつて、国語ではない。前認定の程度ならば、理科・数学担当の教師として、授業に少しも支障がないと認められるし、また生徒に対し教育上悪影響を及ぼすものとも認められない。軽薄にして多弁な教師とぼくとつにしてとつ弁な教師と比較すれば、心ある生徒は後者を選択するであろう。巧言令色すくなし仁とは、今日においても真理たるを失わない。教師にとつて重要なのは、外形的な言葉使いではなく、教育への情熱を実践的に具現することである。たまたま申請人のとつ弁をとらえて、教師として不適格であるというのは、教育の本質を誤る見解で、当裁判所の採用しないところである。以上により、言語表現、対人的態度の点において、申請人が教師として不適格であるとは認められない。

4  生徒会規定の無視について

申請人が中学三年の理科を担当中、授業時間を一時間つぶしてクラス討議を行つたことは、当事者間に争いない。申請人本人尋問の結果によれば、当日そのクラスの第一時限目は、ホームルームが行なわれ、その討議が終らないうちに第一時限が終了したので、クラス代表が休み時間中に申請人の所に来て、討議が盛り上つていて打切るのはもつたいないから申請人担当の第二時限に続行させてもらいたいとの申出をしたこと、そこで申請人は第二時限目教室に入つてクラス全員の意見を聞いたところ、全生徒から討議を続行させてもらいたい旨の発言があつたので、申請人はこれを許容し、前記クラス討議が行なわれ、その際飾りピンの使用の可否についても議論がなされたことが認められる。そして、当時の学園規定には、飾りピンは一切使用しないという定めがあることは、当事者間に争いない。証人中田弘の証言中には申請人は、その際ある程度の飾りピンはよいと発言したとの部分があるが、これは申請人本人尋問の結果に照し措信せず、その他申請人が飾りピンの使用を肯定する発言をしたことを認める疎明はない。かえつて、申請人本人尋問の結果によれば、申請人は、その際生徒から飾りピンなどについて意見を求められたので、不満があるならば、そのクラスだけではなく、他のクラスや高校のクラスでも討議して、その結果によつて生徒会を通じ規則を改めて行く必要があると述べたことが認められる。

中学校の教科は、課目毎に授業時間数を定めて行なわれているのであるから、教師が担当課目の授業をつぶして、当該課目と関係のない事項の討議をさせることは、生徒の希望によつてしたことであつても、妥当なこととは思われない。しかし、申請人のしたのは一回限り一時間のことではあるし、また申請人本人尋問の結果によれば、学園においては従来、生徒が討議の必要があるとき、特に文化祭や学園祭が近づき、その準備や実施について討議の必要があるとき等は、生徒が教師に申し出て、授業時間をさいてもらつて討議していた例もあつたことが認められるから、申請人の行為は、学園の教師として、取り上げて問責する程の職務違反とも認められない。しかも、弁論の全趣旨によれば被申請人の教師としての不適格性の判断において重要な要素としたのは、授業時間をつぶして討議をさせたことではなく、学園規定を無視する発言をして生徒に迎合し、服装規律を乱したということであるから、討議を許容した事実をもつて、申請人が教師として不適格であると判断することはできない。

前認定の申請人が生徒の質問に対してした発言は、全クラスで討議して規定の改正を決すべしとするものである。これは至極、常識的なもので非難に値しない。いかなる規則でも、討論の対象とならないような神聖不可侵なものは存在しない。生徒の服装規律を定める学園規定もその例外ではない。現代社会における服装の変化は、誠に目まぐるしい。学校も、社会から孤立した存在ではないから、時代の変遷に即応する服装の要求が内外から生ずるのは避けられない。飾りピン着用程度のことならば、生徒の良識ある討論によつて漸進的な変革を認むべきであろう。現に申請人本人尋問の結果によれば、その後飾りピン論議は全クラスに波及し、その結果先ず黒色の飾りピンが許され、次いでべつこう色の飾りピンが許されることになつたことが認められるのである。以上により、この点においても、申請人が教師として不適格であるとはいえない。

5  不潔であることについて

〈証拠〉によれば、申請人は通常ネクタイを着用せず、時に頭髪の手入を怠つて、ぼさぼさとし、教員室の机の上でふけ落しをしたことがあつたことが認められる。申請人本人尋問の結果中右認定に反する部分は措信せず、その他右認定を覆えすに足りる疎明はない。しかし、前記乙第二三、乙第二五および乙第三一号証ならびに証人佐々木栄祐の証言中申請人は、常に不潔で生徒からも批判や苦情があつたとの部分は、〈証拠〉に照し措信せず、その他申請人が特に不潔であつたことを認めるに足りる疎明はない。

ネクタイの着用のみならず、いかなる服装が合理的かは、個人の生活する社会環境によつて異なるから、一般的に論ずることはできない。中学、高校の教師がネクタイを着用せず授業等を行なうことが、乱れた服装であるという社会通念はない。わが国の夏季のように高温と湿気に悩まされるところで、冷房装置なくしてネクタイの着用を強制することは無理なことである。ネクタイを着用していなかつたことをもつて教師としての適格性判定の資料とすることはできないのである。また頭髪をぼさぼさにし、教員室の机の上でふけ落しをしていることは、好ましい風景ではないけれども、たまたまそういうことがあつたというに過ぎないし、それは教師として必要な智識、授業能力、指導力などと全く無縁なことであるから、これをもつて教師としての適格性を占うことはできない。のみならず、〈証拠〉によれば、頭髪をぼさぼさにしたり、ネクタイを着用しない教師は他にも存在し、スポーツシャツや赤色のシャツを着て授業を行なう教師もおり、生徒から見ても申請人の服装が他の教師と比較して、見苦しいと感じたり、または特に気になるようなものではなかつたことが認められるのである。そうすると申請人は特に不潔で服装が乱れているとはいえないから、この点においても、学園教師として不適格であるとはいえない。

6  クラス担当の不適格性について

申請人が試用期間(採用初年度)中クラス担当を委嘱されなかつたことは、当事者間に争いない。

しかし、〈証拠〉によれば、被申請人学園で、昭和三五年度から昭和四一年度まで新規に採用した教諭は、申請人を除いて二六名であるが、うち採用初年度からクラス担当を委嘱されたものは僅か四名であることが認められる。そうすると学園で新規採用教諭をクラス担任とすることは例外というべきであるから、申請人が採用初年度にクラス担当を委嘱されなかつたとしても、これをもつて教師としての適格性を判断することはできない。また次年度である試用期間満了後に申請人をクラス担任にすることは不可能であるとして、被申請人が主張する理由は、前記1ないし5に認定したとおり、いずれも申請人の教師としての不適格性を認定する資料とはならないのであるから、これをもつて申請人がクラス担当不適格者と判断することはできない。したがつて、この点においても申請人が教師として不適格であるとは認められない。

(三)  解雇の効力

以上のとおり、申請人が教師として不適格であることを認めるに足りない。もつとも前認定によれば、申請人においても反省を求められる点が絶無とはいえない。しかし、いずれも教師としての本質的能力に関係のない些細なことであるから、これらを総合して判断しても申請人の教師としての不適格性を認めることはできない。世に完全無欠な者は存在しないから、教師といえども、言動・服装等において完ぺきを要求されるものではない。特に申請人は、大学を卒業して教諭として第一歩を踏み出したばかりの青年教師である。この段階で完成した教師を律するような厳格な基準をもつて、教師としての適格性を判断するならば、それに合格する者は暁天の星の如くりようようたるものとなろう。そうした基準は、将来の完成を指向する試用中の教師の職業的適格性の判断について客観的合理性あるものとはいえない。こうした事情を斟酌し、前認定の一切の事情を評価すれば、申請人に教師としての適格性なしとはいえない。したがつて、本件は、先に説示したところの就業規則上被申請人に留保された労働契約解約権を行使しうる場合には当たらない。

申請人は、新規採用で試用期間中の教諭である。少しでも非難すべき行為があるならば、校長や先輩教師が注意し指導すべきが当然である。いかなる社会においても、先輩による後進の指導育成は重要であり、それなくして個人の職業的能力の進歩はありえない。注意指導し、なおかつ矯正不能の非違があるならば、学園からの排除もやむを得ないであろうが、申請人本人尋問の結果によれば、申請人は被申請人の主張する事実について一度も、校長や先輩教師から注意を与えられたことがない。それなのに被申請人は突如として本件解雇の挙に出た。しかも、その解雇の理由として述べるところは、その多くが根拠薄弱のものであり、残るものも教師としての不適格性を首肯させるのには程遠いものである。そうすると、本件解雇の意思表示は、合理的理由もなく、申請人から教諭としての地位を剥奪し、申請人を困惑させる以外の何物でもないということになるから、権利の濫用として、無効と認めざるを得ないのである。

四被保全権利と保全の必要性

以上認定のとおり本件解雇は無効であるから、申請人は、依然として被申請人学園の教諭たるの地位を有する。それにもかかわらず、被申請人は、それを争つているから、申請人はこれが確認を求める利益がある。また昭和四二年三月三一日当時の申請人の賃金が一か月金二四、〇〇〇円、その支払期日が毎月一七日であることは、当事者間に争いないから、申請人は、被申請人に対し、同年四月一日から右金額の賃金請求権を有する。

申請人が、右教諭の外に職がなく、その給与を唯一の生活の資とする労働者であることは、被申請人の明らかに争わないところであるから自白したものとみなす。そうすると、申請人が、被申請人から学園の教諭としての地位を否定され、給与の支払を受けられないときは、生活が窮迫して著しい損害を蒙るものと認めざるを得ない。したがつて、申請人が被申請人学園教諭たるの地位を暫定的に確認し、かつ同日から本案判決確定までの賃金の仮払を受ける必要性がある。

五結論

よつて、本件仮処分申請を理由ありと認めて認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。(岩村弘雄 小笠原昭夫 戸田初雄)

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